ご利用者様のページ

I様の寄稿紹介

  • 喜楽をご利用頂いている方のご家族様が寄稿くださいました。
  • 今後も定期的に寄稿頂けるとのことで、随時ご紹介してまいります。
  • I様は新聞等にも寄稿されており、浅野も拝見しましたが、とても読みやすく共感できる文章で、ぜひ皆様もご覧ください。
  • 「介護を担う若い力」 H29.9.19 T・I
     難病を患う妻がケアセンター喜楽の介護を
  • 受けてもう四年になる。その行届いた介護サ
  • ービスには感謝している。
  •  しかしこんな優れた事業所でも、馴れ親し
  • んだベテランが時々退職して居なくなる。夫
  • 々に事情はあるだろうが利用者には痛い。
  •  この喜楽に昨年二人の青年が介護職として
  • 入社した。学校を出たばかりの明るく健康な
  • 人達だから、大歓迎で見守っている。今後の
  • 高齢化社会の介護ニーズの高まりを考えると、
  • こういう若い男性が入ってくる事は望ましい。
  •  介護の仕事は女性ばかりではならない。こ
  • の様な若くて元気な男性が加わる事はまさに
  • 百人力であろう。しかし病気持ちの高齢者ば
  • かりを扱う職場に若い二人が馴染んでくれる
  • だろうか、と不安に思うことも否めない。
  •  其の後二人共次第に中心的な仕事に携わる
  • ようになりつつある事が嬉しい。将来の介護
  • 事業の中核として育つよう期待している。
  •  
  •  
  • 「フラワーセラピー」 H29.5.26 T・I
     私達夫婦は花を育てるのが大好きだ。妻が
  • 元気だった頃は、季節の花々の種を播いて、
  • 花壇やプランターに定植して、庭中に花があ
  • ふれていた。その中の好い物を選んで居間の
  • 窓外に設けたフラワースタンドに飾った。
  •  居間の掘ごたつの私の席の正面に咲き乱れ
  • る季節の花々が眺められる、五月の今は鉢物
  • の君子蘭、クレマチス、キリン草が見頃だ。
  • 間もなく私の大好きな紫陽花の季節になる。
  •  花の名前に詳しい妻に教えられてブルーバ
  • ーゴ、アクロスランマ、ユリオプスデージー
  • などという難しい名前の花々にも親しんだ。
  •  お天気の良い土曜日の午下り、薬が利いて
  • 動きが良くなった妻が、庭に出て花の種を播
  • きたいとせがんだ。歩行のおぼつかない妻を
  • 抱え上げて庭に下ろし、種播き用のプランタ
  • ーを用意した。言われる通り買ってあった二
  • 袋の花の種を播く妻の表情は活き活きとして
  • いる。花に親しむことは何よりの癒しである。
  •  
  •  
  • 「新年随想」 H29.1.10 T・I
     新しい年が明けた。妻の在宅介護を始めて
  • から四回目のお正月を迎えた。私の老々介護
  • もよく続いていると思う。しかし何と言って
  • も行き届いた介護を担ってくれる介護事業所
  • のお世話があってのことである。
  •  今年も元旦の朝、マザーケアの担当者が妻
  • の身の廻りの世話をしてくれた。翌二日には
  • 喜楽のデイサービスでお正月を祝ってくれた。
  • 介護の担当の方々は、元旦早々働く交通機関
  • の人々や、警察官などの公共的な仕事と並ん
  • で、欠かせない有難い役割になって来たと思
  • う。
  •  昨年安倍首相は「介護離職をゼロにする」
  • という目標を揚げたが、これは極めて達成困
  • 難な目標ではあるまいか。在宅介護のヘルパ
  • ーは利用者に四、六時中付添う事は出来ない
  • から、誰かが常に傍に居なければならない。
  • そこをどうするかという難しい問題がある。
  •  今私共は、毎朝一時間のホームヘルパーに
  • よる身体介助、週三回のデイサービス、月二
  • 回一泊のショートステイなどでお世話して頂
  • く他に、訪問看護、訪問リハビリなど手厚い
  • ケアをして頂いている。しかしながらその他
  • の多くの時間は、私が付添って食事の世話や
  • 用便の介助など身の廻りの世話をしている。
  • 掃除や洗濯や買物など日常の用務も沢山ある。
  • これらの事も私が仕事を持たず、健康だから
  • こそ出来る事だが常に不安をはらんでいる。
  •  介護事業所の様々なお世話を受けていると、
  • 実に行き届いたケアプランを企画して仕事を
  • 進めていると感じる。これは有能で熱心な人
  • 材あっての事である。妻がこの一年間デイサ
  • ービスで充実した楽しい日々を過させて貰え
  • たのも、良い企画、良い人材あっての事だ。
  •  今後の介護事業の要点は、第一に介護保険
  • 制度に関する行政の行届いた運用、特に介護
  • 事業者の向上、育成のための援助を行う事 、
  • 介護事業者としては優れた熱心な職員の育成
  • に力を注ぎ、その定着を図ることが大切であ
  • る。又利用者の側でも負担の見直しがあれば
  • 受入れる心構えも必要だと感じている。
  •  
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  • 「天寿というもの」 H28.7.18 T・I
     つい近頃知人から「母が天寿を全うしまし
  • た」という訃報が届いた。享年は70才だっ
  • たそうだから、決して長寿ではないが家族が
  • 「天寿」と言うからにはご当人は幸せな生涯
  • だったであろう。
  •  日本人の平均寿命はどんどん伸びて、今で
  • は女性は86才超えにもなったそうだ。しか
  • し長寿というものは目出度いばかりではない。
  • 健康寿命、つまり自立して日常生活の諸々の
  • 事が自分で出来る状態であれば、長生きする
  • 事は目出度いと言えよう。しかし現代の長寿
  • は、医学の力で寿命を伸ばしている点、行き
  • 届いた介護制度のお蔭で長生き出来ている面
  • などがあり、決して手放しで喜こべるもので
  • はない。
  •  私の身内の女三代の寿命を見ると、曾祖母
  • は嘉永六年(ペリー来邦の年)生れで92才
  • まで生きた。私は幼なかったから記憶は定か
  • ではないが、曾祖母はとても達者で、眼鏡な
  • どなくても針に糸が通せたと言い伝えられて
  • いる。現代なら百才は優に超える長寿だった。
  • 祖母は戦争中から戦後にかけての食料不足で
  • 生活の苦しい時代に、一家の柱として働いて
  • きたから健康を損ねて76才で早逝している。
  • その次の母は、そんな苦しい時代を逞ましく
  • 生き抜いて七人の子供を育て上げたのは立派
  • だったと思う。身体が丈夫だったからそうい
  • う時代も生き抜いて豊かな時代に到達して百
  • 七才という長寿だった。
  •  これに比べて男三代は、曽祖父、祖父共に
  • 私の記憶にない早逝だったようで、辛うじて
  • 父が94才の長寿だったのが救いである。今
  • 私は86才。母の長寿のDNAを受継いで百
  • 才を目指している。妻が三年前に在宅介護の
  • 生活に入り、私が老々介護をしているから、
  • 私は何としても健康を維持しなければならな
  • い。そういう義務感も支えになって健康を保
  • っている。この調子で生き抜いて長寿に達す
  • ればそれが私の天寿というものであろう。
  •  
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  • 「医療を考える」 H28.6.16 T・I
     以前アメリカに行った時、シカゴのドラッ
  • グストアを覗いてみた。話に聞いていた通り
  • ビタミン類や健康食品などが各種多様に並ん
  • でいて安価だ。鎮痛、消炎といった一般の市
  • 販薬も沢山並んでいる。
  •  アメリカでは日本のように健康保険が充実
  • していないから、病院に行けば高額な医療費
  • を支払わねばならない。従て風邪ひきなどの
  • 軽い症状の場合は、ドラッグストアで買う薬
  • ですます事が多いそうだ。また極力病気を予
  • 防しようという意識から、ビタミン類などを
  • 積極的に摂取するとも聞いた。
  •  日本の薬局は充実しているが、全般的に売
  • 薬は高価なように思う。従て高齢者は市販薬
  • に頼るより、病院に行って少い医療費で済す
  • 傾向もあるだろう。こんな事も老人医療費を
  • 押し上げている一因ではあるまいか。
  •  病気を予防するという観点からみれば、皮
  • 肉にも健康保険の発達していないアメリカの
  • 方が熱心ではないだろうか。誰にでも覚えの
  • ある事だが、病院で貰う薬を使い切らず、飲
  • み残して捨てる事がある。これに対してアメ
  • リカのように、自分がドラッグストアで買っ
  • た薬は捨てたりしないだろう。
  •  日本の健康保険制度は充実しており、後退
  • させてはならないが、不合理な点は改めるべ
  • きである。いくつかの問題点の中で過剰診療
  • や投薬過多などを考えてみると、患者の側で
  • は価値判断が出来ない事が一番の問題ではな
  • いだろうか。医療の専門的なことは解らない
  • から、医師が全てを判断して指示している。
  •  一般の商取引では、購入物品は消費者が価
  • 値判断をして要否を決めている。これに対し
  • て医療では高額の検査も高価な医薬品もすべ
  • て医師の判断に従っている。そこには患者(
  • 消費者)の意志のはいり込む余地はない。高
  • 額であっても保険でカバーするからよい、と
  • いうものでもなかろう。も少し患者の意志が
  • 反映出来る医療にならないものだろうか。
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  • 「海外旅行回顧」 H28.5.9 T・I
     五月連休の関西空港の様子がテレビで映さ
  • れていた。小さな子供を連れた夫婦が、フラ
  • ンスのパリに行ってきた、と言うのに驚いた。
  • そんなにも気楽に行けるようになったとは。
  •  私達夫婦は二十五年前にシンガポールに行
  • ったのが最初だった。その頃長男が駐在して
  • いて招待されたから。行ってみると街は清潔
  • でブーゲンベリアやランの花が溢れていて、
  • ゆったりと観光出来てとてもよかった。
  •  その後暫くしてやはり長男がアメリカ勤務
  • になって、シカゴに住むようになり、招んで
  • 呉れたので出掛けた。成田空港から十二時間
  • の快適なフライトで、シカゴのオヘア空港に
  • 着いた。息子の嫁が車で迎えに来てくれ、ハ
  • イウェイを走って郊外の立派な家に着いた。
  •  それからの一週間はシカゴ見物のあと、ナ
  • イアガラの滝を見に行き、カナダのトロント
  • まで足を伸ばして、観光を堪能した。それか
  • らはアメリカ行が気楽になり、三回も行って
  • ゴルフを楽しんだり、メジャーリーグの野球
  • を観戦したりした。妻は孫の出産の手伝いに
  • 独りで行った事もあった。
  •  次の年念願のヨーロッパ旅行に行く事にな
  • り、「とっておきのヨーロッパ9日間」とい
  • うドイツからスイスを経てフランスに至るツ
  • アーに参加した。見所も多く感激のしっ放し
  • だった。その次の年は「イタリア浪漫紀行1
  • 0日間」更に「情熱のスペイン、悠久のポル
  • トガル10日間」と立て続けに出掛けた。そ
  • の後冬の日本から夏のニュージーランドへの
  • 旅、人気のオーストラリア、台湾と、目まぐ
  • るしい程の海外旅行をして四年前に終止符を
  • 打った。
  •  海外旅行で印象に残っている事は数え切れ
  • ないが、スペインで見た地の果まで続くひま
  • わりの花、薄紫の満開のジャカランタの花は
  • 私には特に印象深い。各地の食べ物では素朴
  • な料理が良く、ドイツのポテト、ミラノのカ
  • ツレツ、リスボンの鰯の塩焼、ナポリのイカ
  • のリング揚などは又食べたいと思う懐かしい
  • 味だった。海外旅行はいつ迄も記憶に残る。
  •  
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  • 「福祉を考える」 H28.4.9 T・I
     誰しも若くて健康な間は「福祉」という言
  • 葉に関心が薄いし、どちらかと言えば冷淡で
  • はないだろうか。やれ健康保険料を取られ過
  • ぎる。やれ介護保険料なんてどんなに使って
  • いるか。などと自分の現在の負担中心で考え
  • る傾向があるように思われる。
  •  しかし誰しもいつかは病気にもなるし、年
  • を取って身体が不自由にもなってこよう。そ
  • うなった時初めて健康保険の有難味を知るし、
  • 介護保険の行き届いた手当を知る事になる。
  •  私自身比較的健康に恵まれてこの齢まで来
  • たが、やはり持病はあって(前立腺肥大)病
  • 院には定期的にお世話になっている。また妻
  • が一昨年持病のパーキンソン病が進行して、
  • 入院加療の後に在宅介護となったが、息子達
  • は独立して離れて住んでいて、夫婦二人だけ
  • の暮しだから、私の体力の続く限りこの老々
  • 介護をしなければならない。
  •  現在は毎朝ホームヘルパーを派遣してくれ
  • ている”マザーケア”とデイサービス、ショー
  • トステイ、訪問看護などの手厚い介護をして
  • くれている”喜楽”など数社の介護なくしては
  • 妻の在宅介護は成り立たない。
  •  今後の日本は、”少子高齢化”という若い働
  • き手が減少してゆくのに反して、介護を必要
  • とする高齢者はどんどん増加する時代になる。
  • そういう時代に優秀で安定した働き手を確保
  • することは、介護事業者のみならず国の重要
  • な政策課題となってくると考えられる。
  •  これからは介護施設や介護事業所には質の
  • 良い職員が集まり、定着するようにあらゆる
  • 手だてを講ずる必要がある。そのためには介
  • 護という仕事を、働き甲斐があり収入も安定
  • したものとすることが最も大切である。
  •  なお今後の増大する福祉の財源を消費税の
  • 引上げに求めることは、景気への影響などを
  • 考えて慎重に行う必要があろう。しかし将来
  • を見通せば、高福祉を求めるには高負担も必
  • 要ということが自然な流れではあるまいか。
  •  
  •  
  • 「"若い"ということ」 H28.3.17 T・I
     米寿間近の私でも時々「お若いですねえ」
  • と言われる事がある。お世辞でも悪い気はし
  • ない。もう姿形でそう言われる事はあるまい
  • から、たぶん私のシャンとした姿勢や、きび
  • きびした動作などからの褒め言葉であろう。
  •  つい最近気を良くした事がある。時々私は
  • 通信販売の健康食品を取寄せているが、或日
  • 九州の会社へ電話して評判のサプリメントを
  • 注文した。電話に出た娘さんに住所、氏名な
  • どを告げ、最後に「お年は?」と聞かれたの
  • でそれを言ったら「え、嘘でしょ。失礼しま
  • した。余りお若いお声なのでご本人ではない
  • だろうと思いましたので」と言う。これはお
  • 世辞ではあるまい。私は時々電話の相手に声
  • が若いと言われる。そう言われると満更でな
  • く、若返った気持になるものだ。
  •  ただ気持は若くても年と共に体力が衰えて
  • くるから、知らず知らずに姿勢が崩れて来る。
  • 前かがみでトコトコ歩きになったり、のろの
  • ろ動作になってくる。要は本人がそれを意識
  • するかどうかで他人に与える印象は変るもの
  • だという事を知っておきたい。
  •  私の好きなサミュエル・ウルマンという人
  • の「青春」という詩の一節に
  •  青春とは人生のある期間を言うのではなく
  •  心の在り方を言うのだ
  •  年を重ねただけで人は老いない
  •  理想を失う時に初めて老いが来る
  •  
  •  私はこれを座右の銘にしている。年を重ね
  • ただけで人は老いるのではなくて、希望、意
  • 欲、目標などを失った時に初めて老いるのだ
  • という事は、まさに我が意を得たものだ。
  •  しかし反面では「年相応」という言葉のあ
  • ることも忘れてはなるまい。常日頃気分は若
  • く保っていても、身体は知らず知らずの内に
  • 老化してゆくから、若い頃にはなかったよろ
  • めき、つまずき、息切れなどが起ることを素
  • 直に受入れて、気をつけて暮すようにしたい
  • と思う。
  •  
  •  
  • 「私の腰痛予防策」 H28.2.17 T・I
     妻を在宅介護している私にとって、何より
  • も大切な事は自身の健康を維持することであ
  • る。私に万一の事があれば介護は出来なくな
  • る。従って何としても健康でなければならな
  • い。とは言っても私は86才だから、もう元
  • 気凛々とはゆかない齢だ。ただ私は日頃八掛
  • 年齢を自負しているから、気持は70才で居
  • る。
  •  さてそんな私が一番注意している事は、腰
  • 痛を起さない事だ。日常の妻は歩けなくて室
  • 内でも車椅子を利用しているから、トイレの
  • 抱え上げ、下ろし、ベッドへの上げ、下ろし
  • など私の腰がしっかりしてなければならない。
  •  私は昔40代の頃に、事務所の重いコピー
  • 機を移動するため持ち上げようとしてギック
  • リ腰になった事がある。その時の辛さ、不自
  • 由さに懲りて、以後の腰痛再発予防策を色々
  • 研究してみた。その頃東京都知事だった80
  • 才の鈴木という人が「私の健康法は”真向法”
  • という腰の屈伸運動を昔から続けている事で
  • す」と言っているのを知って早速調べてみた。
  • 真向法というのは腰痛予防というより一種の
  • 自彊術(自分で励む健康法)だった。
  •  それは実に簡単な方法で、直ぐに自分で出
  • 来るものだった。基本に四つの動作があるが、
  • そのうちの中段の二つの動作を続ければ効果
  • があるとの事だった。長く続けるためには極
  • 力簡素化した方が良いと考えた。
  •  第一動作は床にあぐらをかいて、第二動作
  • は床に腰を下ろして足を前に伸ばして、第三
  • 動作は伸ばした足を開脚して、第四動作は床
  • に正座してという姿勢で、前方に上体を前屈
  • して腰を伸ばす運動を深呼吸しながら繰返す
  • という簡単な運動である。私はそのうちの第
  • 二、第三動作を、寝る前に寝床の上で行なう
  • ことに決めた。
  •  以来40年余、1日も欠かさず続けている。
  • 一回僅か5分ほどの運動であるが、続ける事
  • の効果は大きい。以来真向法の効果で腰痛は
  • 一切起していない。皆さんも試みられては?
  •  
  •  
  • 「新しい年に思うこと」H28.1.15 T・I
     年が明けた朝、ホームヘルパーが来てくれ、
  • 午後には訪問看護が来てくれた。元旦早々に
  • 利用者のお世話をしてくれるマザーケアと喜
  • 楽の担当者のご苦労には深く感謝したい。
  •  ヘルパーの介助ですっきりした妻と二人で、
  • 居間の掘ごたつにはいって手作りのおせちで
  • お正月を祝う。暫く賑やかなテレビ番組を見
  • ていると、年賀状が早々に配達されたので、
  • 持ってきて妻と二人で丹念に目を通す。親し
  • かった友人、知人も次々と鬼籍に入って、年
  • 賀状もぐんと少くなってきた。
  •  訪問看護のWAさんが帰ったあと、夕方に
  • なって息子一家が年始に訪れた。妻と二人で
  • 作った三段重ねのおせちに、雑煮、赤飯を炊
  • いた簡単なもてなしだ。高校と大学生になっ
  • てすっかり大人びた孫娘達には、今年は一段
  • と成長して欲しいと願う。普段は余り物を言
  • わない妻も会話の中に入ってきてお正月らし
  • い団欒になった。
  •  翌二日にはもうデイサービスのお世話をし
  • てくれる。喜楽の迎えを送り出したあと、恒
  • 例の茨木神社初詣に行く。今年は例年以上に
  • じっくりと願かけをした。
  •  新しい年に願う事の第一は、妻が自力で歩
  • 行出来るまでに恢復することだ。たまに外出
  • して手押車を押して買物に廻ることが出来る
  • ようになれば嬉しい。今年はこれ迄以上にリ
  • ハビリに力を入れるように担当の方々にもお
  • 願いしたい。
  •  昨年一年間、喜楽での諸々の介護は本当に
  • 良くやって頂いて感謝しているが、今年もよ
  • り良い介護をして頂くよう期待している。
  •  そんな喜楽で昨年何人かの有能なスタッフ
  • が離れて行ったのが残念だ。これからの介護
  • 事業の重要性を考えると、何としてもプロの
  • 介護者には安心して仕事に定着して貰いたい。
  • 安倍首相の唱える「介護離職ゼロ」の実現に
  • はまずその前が大切だ。今後の行政としての
  • 手厚い援助が何よりも大切だと思う年明けだ
  • った。
  •  
  •  
  • 「喜楽の群像(其の二)」H27.12.14 T・I
     昨年の二月阪大病院で、退院して在宅介護
  • に移行するための関係者打合せがあった。そ
  • の時喜楽からは看護師のWAさんが出席して
  • いたが、丸顔のとても親しみを感じる人だっ
  • た。
  •  妻が退院して間もない頃「せん妄」という
  • 症状が出て神経が高ぶり、手がつけられない
  • 状態になった時に飛んで来てくれて、後から
  • 駆け付けてくれたケアマネのKAさんと二人
  • で静めてくれて、心底ホッとしたことだった。
  • 豊かな経験のたまものであろう。妻のせん妄
  • はその後発症しなくなっている。
  •  毎週の訪問看護は主にNAさんの担当だが、
  • 妻の友人に似て色白の眼鏡をかけた朗らかな
  • 人で、時々扱い難くなった時も凌いでくれる。
  •  デイサービス担当の方々の行き届いた扱い
  • には感謝している。主任のOさんや副主任の
  • TAさんの人柄も良く、全体をよくまとめて
  • 運営していると思う。毎回持ち帰るレポート
  • の内容が具体的で、利用者がどのように一日
  • を過したかが良くわかって有難い。ベテラン
  • のHさんやSAさんは体調に目を配ってくれ
  • るし、大好きなお風呂の介助をして頂くIさ
  • ん他の方々の優しい扱いをとても喜んでいる。
  • また若くて熱心に企画を進めるTUさんやS
  • Aさん、明るくコロコロしているAちゃんな
  • ど、夫々の立場で良い仕事をしていると思う。
  • 今年から加わったSさんのリハビリには期待
  • している。
  •  毎日の食事の献立が仲々多彩で、妻はいつ
  • も完食するらしい。高齢者にとっては食べる
  • 楽しみが一番だから、一層の充実を願いたい。
  •  習字や絵描きなどはとても良い企画だと思
  • う。パーキンソン病で時々手の震える妻の習
  • 字に、乱れもなく立派に書けた一枚は、額に
  • 入れて飾った。指導して頂くNさんには感謝
  • したい。他の行事もとても良いと喜んでいる。
  •  最後に毎日の送迎の車を担当して下さる方
  • 々にお礼を言いたい。足元のおぼつかない妻
  • を優しく導いて頂く姿に頭が下がる。今後も
  • 利用者に愛される喜楽であるように願う。
  •  
  •  
  • 「喜楽の群像(其の一)」H27.11.15 T・I
     在宅介護の妻が喜楽のお世話になってから
  • 一年半になる。次第に喜楽の人々の個性もわ
  • かってきたので、限られた範囲ではあるがス
  • タッフの横顔を覗いてみよう。
  •  最初の出会いは、ベテランケアマネージャ
  • ーのKさんで、その豊かな経験に期待してい
  • たが、間がわるく体調を損ねて交代した。代
  • って担当することになったKAさんは、若く
  • てルックスも良いので昔映画好きだった妻が
  • 早速「高千穂ひづるちゃん似」と一昔前の東
  • 映の時代劇女優の名前を言ったが、ご本人は
  • キョトンとしていた。古すぎて知らないので
  • インターネットで調べたというのも現代らし
  • い。明るい笑顔で妻に接してくれるし、時に
  • は朝のデイサービスの車を運転する活躍振り
  • だ。
  •  間もなくひづるちゃんの下にMOという若
  • い人が入社してきて妻を担当した。陽やけし
  • ていて昔ベトナムで出会った少女に似て、健
  • 康的な笑顔が可愛く、熱心に介護計画をつく
  • り親身になって進めてくれている。
  •  朝のホームヘルパーとして週一回訪れるS
  • Uさんの明るさはピカ一だ。朝一番に明るい
  • 声と共に笑顔が入ってくると、妻は引き込ま
  • れるように安心して身を委せている。他のヘ
  • ルパーで、きちんと介助していても妻が好ま
  • ない人もあるが、それは心のこもってない、
  • まるで人形を扱うような態度が見えるからだ
  • と思う。
  •  喜楽のデイサービスの朝の迎えがとても良
  • い。自然なユーモアを漂よわせるToさん始
  • め、女性達の朗らかさが良い。或朝出迎えの
  • メンバーの中に見馴れない顔があったので「
  • 余り見掛けないが、いつから居るの」と問う
  • と「そこそこ以前からですよ」と笑顔で言う。
  • すると後に居たSuさんが慌てて私の袖を引
  • いて「その人うちの所長の浅野ですよ」と囁
  • いた。私としたことがとんだ失礼をしたが、
  • 気取る事なく送迎車の運転を手伝うトップの
  • 在り方を好もしく思った。これからも皆さん
  • にこの良さを続けて欲しいと願っている。
  •  
  •  
  • 「思い出に残る海釣り」H27.10.10 T・I
     在宅介護になってからの妻は、テレビをめ
  • ったに見なくなった。日常の時間手持無沙汰
  • になると、お相手するのが大変だから何とか
  • 少しでもテレビを見させるよう仕向けている。
  •  前回書いたテレビの歌番組を見ながら二人
  • で歌うことを妻もとても喜ぶので時々やって
  • いる。しかしそれだけでは時間も限られてい
  • るから次の対象をさがしていたら、良い番組
  • を見付けた。それは魚釣り番組である。
  •  秋晴れの釣りシーズンになってあちこちの
  • 局で魚釣りの番組をやっている。昨晩も私が
  • 見ていたら、いつの間にか隣に坐る妻が身を
  • 乗り出して来て「わあ!大きなの釣れた」と
  • 喊声をあげた。妻も魚釣りが好きなのだ。
  •  私は現職の頃、全国各地を転勤で移り住ん
  • だが、行く先々で夫婦で楽しめる趣味を見付
  • けるよう心掛けた。それにピッタリだったの
  • が鳥取県の米子で始めた夫婦の海釣りだった。
  •  日本海側の弓浜半島の入口あたりにあった
  • 部長社宅に住んだから、中海、弓ヶ浜、境港
  • などの良い釣場も近かった。私は前の岡山勤
  • 務の時に海釣りを覚えていたから直ぐに始め
  • た。「私も連れてって」と言う妻と一緒に毎
  • 日曜日に釣りに出掛けた。
  •  手始めは中海のハゼ釣りだった。土地の人
  • は釣果を一束、二束と言う。百匹で一束だか
  • ら桁違いに釣れる。初めての妻が一束以上釣
  • って大満足だった。ここではサヨリも釣れた。
  •  夏が来ると弓ヶ浜一帯のキスの投げ釣りが
  • 楽しめる。チョンと直ぐそこ迄しか投げない
  • 妻の竿にキスが連でかかる事もあった。やが
  • て妻の方が沢山釣るようになった。それは転
  • 々と浮気する私に対して、妻は辛抱強くじっ
  • と回遊してくる魚を待つからだし「まだ今晩
  • のおかずが足りないから」と粘るには参った。
  •  最後の転勤で大阪に戻り、尼崎魚釣公園に
  • 出掛けた事もあったが、妻の病もあって釣り
  • も終った。楽しかった数々の思い出を残して。
  •  
  •  
  • 「歌って癒やす」 H27.9.14 T・I
     昨年から妻の在宅介護をしているが、週三
  • 回じんないケアセンター喜楽のデイサービス
  • のお世話になっている。毎回帰宅する時にレ
  • ポートを頂いているが、その日の本人の様子、
  • 行事やアクティビティ参加の模様などを簡潔
  • に記入してくれてあってとても有難い。
  •  しかしデイに行かず在宅する日の一日中の
  • 妻のお相手をすることは容易ではない。昔の
  • ように買物に行ったり、家事を次々にする事
  • が出来ないから、居間に座っている事が多い。
  • それでもテレビを見たり本を読んだりして呉
  • れれば退屈する事もないから、私も別の事を
  • しておれば良いのだが、今の妻はそんな事に
  • 関心がないから、何らかの形でお相手をして
  • やらねばならない。ただ辛うじて昔から好き
  • だった編物の真似事をしてくれるのが救いだ。
  •  そんな日常の中で、近頃とても良い事が見
  • 付かった。ご参考までにその方法を書いてみ
  • る。
  •  それはテレビの歌の番組に合せて二人で歌
  • うことである。毎週月曜日の夜、BS放送で
  • 「日本のこころの歌」と題して若いコーラス
  • グループが童謡、小学唱歌から戦後流行った
  • 歌の数々を聞かせてくれるのを知った。
  •  毎回録画しておいて、時々それを再生して
  • 妻と二人で歌う。昔の歌はお互いによく覚え
  • ていてすんなり歌える。「みかんの花咲く丘」
  • や「赤い靴」や「リンゴの唄」などの懐かし
  • い曲を、私は自慢の声を張り上げ、妻は小さ
  • な澄んだ声で唱和する。
  •  懐かしい昔の歌を歌う時の妻の表情は活き
  • 活きとしていて、病気をすっかり忘れさせて
  • くれるのが嬉しい。記憶を呼び起すことと、
  • 発声する運動はきっと病気を癒やす効果があ
  • る事と思う。これからも録画を大事にして時
  • 々再生して二人で歌う事を続けようと思う。
  • そうすることで妻の難病も少しづつでも恢復
  • してゆく事を信じながら今日も歌おう。
  •  
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  • 「老々介護の日々」 H27.8.4 T・I
     思いがけなく85才の私が80才の妻の介
  • 護をする事態になった。言わはば逆の老々介護
  • である。妻にはパーキンソン病の持病があっ
  • たが、日頃の健康管理と服薬の効果もあって、
  • 喜寿を迎える頃まではとても元気で、毎年二
  • 人で海外旅行を楽しんでいた。
  •  一昨年の暮に一転して症状が進行して入院
  • した。三ヶ月に及ぶ治療の効果も上らなかっ
  • たが、私はあくまで入院治療にこだわった。
  • しかし保健所の担当者から、介護認定を受け
  • てケアマネージャーを選び、在宅介護をする
  • 方向を強くすすめられた。それは無機質の病
  • 院生活から、住み馴れたわが家に戻り、馴れ
  • 親しんだ家の様子や好きな庭のたたずまいな
  • どを見て過すことは精神面でとても良い、と
  • 言うのだった。
  •  昨年二月に退院を決断し、在宅介護に入る
  • 事になったが、介護を委任する事業所を。自
  • 宅から程近い「じんないケアセンター喜楽」
  • に決めた。
  •  介護認定を受けて在宅介護に入った。毎朝
  • 来宅するホームヘルパーの介助、週三回送迎
  • してくれるデイサービス、月二回一泊で世話
  • をしてくれるショートステイなどに加えて、
  • 週一回の訪問看護、訪問リハビリなど手厚い
  • 介護を受けている。
  •  しかし生活面の炊事、洗濯、掃除などの家
  • 事一切を私が行うから仲々忙しい日々である。
  • また妻の在宅日の日中の時間、夜間の総ての
  • 時間に行なう介助は容易な事ではない。車椅
  • 子やベッドへの抱え上げ、下ろしやトイレの
  • 介助などの時、万一私が腰を痛めでもしたら、
  • と薄氷を踏む思いである。
  •  この一年半を何とか順調に過して来られた
  • 事は、何と言ってもケアセンター喜楽のお蔭
  • である。介護を受ける度に「介護は人である」
  • とつくづく思う。いたわりの気持で笑顔を絶
  • やさない事は大切だ。これからは妻の恢復を
  • 念じながら在宅介護に励みたい。
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喜楽をご利用になられている皆様や、そのご家族様からの投稿をご紹介します。

 

ヘルパーをご利用になられている方からのお便り

  • 毎週ヘルパーを利用されているご利用者様からの嬉しいお便りです。
  • 一緒に食事を作っている際に、「献立集」を作ろう!という話しが出たようで、積極的に献立を考えたり、調理をして下さっています。
  • 今回、教えていただいた「献立」の一部をご紹介します。